◎かめかんがズラリ

かめ棺 ←イラストは埋葬用の棺で かめ棺 といい、弥生時代の北部九州に特徴的なものです

吉野ヶ里は丘陵上に、長さ600mに渡って2列に整然と並んだ甕棺墓群が出土。
(そこには、子供・大人のかめかん・石でできたお墓とかも、『グループ』をつくって、規則正しく並んでいました)
現在、2013年3月20日追加オープンした『古代の森』に復元されています。  これですリンク!


見つかった人骨からは、男女の違いや年令や身長、そして顔つき、栄養状態なども分かると言われています。     w(゚o゚)w オオー!

◎大陸から入ってくる

『 稲作 』だけでなく
 鉄  青銅 といった
金属器も伝わってきました。
は農具や工具等の実用品として、 青銅は始めは実用品として、その後は祭りの道具等に使われるようになったと考えられています。

その他にも絹織物、ガラス製品なども注目されています。

◎稲作と戦い

稲作が始まってくると、人々は米にとって条件の良い場所
【水がたくさんあって、住む場所も近くに保有できる】を、求めるようになって、
そうすると場所の取り合いや収穫した穀物の奪い合い が始まり、 戦い に発展していったと考えられています。


吉野ヶ里のかめ棺からは、戦いを思わせるような損傷した人骨や銅剣が見つかっています。

ムラとムラの争いが始まり、そして統合されたり連合したりして、やがて大きなクニになり、クニには王がいます。
そのクニが他の大きなクニと勢力を競うようになり、有力なクニは中国に使節を送ります。

  中国の魏志倭人伝には日本のようすが書かれていて、邪馬台国は『宮室・楼観・城柵(環壕)があり、人が武器をもって守っている』とあります。
『当時は30余りの国があり、絶えず争っていた』

クニの統制や階級や外国との交流など、今の社会の形ができあがったのはこの時代ですね。

弥生時代の初め、吉野ヶ里の南端に 小さな環壕  を持つ集落ができ、中ごろ・終わりの頃には、段々と 北方へ環壕を拡大 し、 ついに大型の建物や墳丘の墓地を持つ『都市』へと変わっていきます。
現在は、弥生時代の終わり(3世紀)の集落が復元されています。 (⌒-⌒)


佐賀県の  吉野ヶ里遺跡の配置図  を作りました

↑(上がで 背振山系がわ)     ↓(下がで 有明海がわ)

全体図
墳丘墓 北内郭 倉と市 展示室 遊びの原 南のムラ 西口入口 体験工房 東口入口 南内郭

◎建物

弥生時代の建物の代表的なものに、竪穴住居があります。
竪穴住居とは、その名の通り『地面を掘りくぼめて』床をつくる半地下式の家のこと。 つまり、座ると地面の中というわけですね。
それで、住居の内側と外側の温度差は5°位違うと言われています。
夏は涼しく(ヒンヤリ)、そして冬は暖かく感じるでしょうね。

こういう竪穴住居の形は、縄文時代や弥生時代の一般的な住まいで、
その後も続いているようですよ。
吉野ヶ里では、古墳時代の竪穴住居跡も見つかっています。
でも、出てくるのは、柱やいろりの『穴ぼこ』で外見はわかりません。


弥生時代は、その他にも大型倉庫などの掘立柱建物や、遠くを見るためでしょうか、物見やぐらという建物が造られているようですね。

やぐら 掘立柱建物というのは、礎石(柱の下の石)を使った建物と区別する言い方で、穴を掘って柱を埋めた建物のことだそうですよ。
    あっ!なるほど…と、納得!!  (笑)

物見やぐら跡は、北内郭・南内郭の両方の壕の張り出し部から見つかっています。

◎布

吉野ケ里遺跡では、貝や植物で染色した 麻や絹の布片 も見つかっています。
を飼い、繭(まゆ)から絹糸を取り出し、『はた織り機』を使って、布を織る技術が伝わっていたと考えられています。


この染色法は、『貝紫』といってイボニシ貝・アカニシ貝という巻貝の内臓を使います。
染めたすぐは、『乳白色』の色をしていますが、『太陽』にあてると
またたく間に『紫色』に発色します。
    「帝王色」と言いクレオパトラも愛した紫だとか…        (*^o^*)

また、夕焼けのような赤い色で、染められた繊維(せんい)もありました。
アカネ染め この色はアカネ(茜)という植物を煮出して色素を抽出していますが、そのときに米粥(かゆ)とかを発酵させた『酸』を入れると、 黄色に変化したりするそうですよ。

その他に紅花の花びらをもみこんだものからも黄や赤の色が抽出できます。



古代植物館( 古代の森 )では、これらのさまざまな植物で 染めた糸 や布製品、そして「蚕」や「桑の葉」などが展示され、これらを使って組みひもはた織り(布づくり)が行われています。【体験コーナー】


体験工房( 弥生くらし館 )の方では、勾玉土笛銅鏡銅鐸等の製作もできます。【体験コーナー】
ちなみに、体験工房の正式名は 弥生くらし館 といいます。
      ※詳細は PAGE体験工房 へ  クリック!

◎北内郭

写真の間にある イラスト はこのページ上部にある公園配置図の北内郭の中央に復元されてる 主祭殿という大型建物です。

その主祭殿がある 北内郭 は竪穴住居は1棟だけで、ほとんどが掘立柱建物跡で 構成されています。

また、ここが吉野ケ里遺跡で最も重要な区域である証拠として、この場所を二重の環壕が囲み、壕を渡る入り口の部分はかぎ型にずれていて、内部が外からは見えにくい構造になっています。
(たぶん、普通の弥生人は入れない所かも)
      ※詳しくは PAGE北内郭 へ    クリック!



アカネ染め祭殿 染め糸



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